笈掛の松

   
嘉禎元年(1235年)親鸞聖人(63歳)は関東から帰洛きらく途次とじ美濃みの国今須くにいます(関ヶ原)でお告げを得られ、淡海おうみの国、馬渕町まぶちちょう住蓮坊じゅうれんぼう、安楽坊の墓にまいられ、日野川を下って小田町越おだちょうご比留田ひるた、木部へと尋ねて来られた。この年を錦織寺開創の年としている。
日暮れて泊る所を捜しておられた親鸞聖人の目にお堂とその前の大きな松が見えた。そこで松の木へおいを掛けて休息された。その松を「笈掛松おいかけまつ」とよんで伝わっている。
お堂にやすまれたその夜、聖人の夢にお堂の主、毘沙門天王びしゃもんてんおうが現れて、「ここに如来像にょらいぞうを安置し仏法をおこしてほしい、私はそれをお守りします」とお告げになったのである。