親鸞聖人七百五十回御遠忌御消息

平成二十三年十一月二十八日は親鸞聖人の七百五十回忌にあたります。
 錦織寺ではお引き上げをして、このご法要を、平成二十二年十一月にお勤めすることになりました。
記念すべきこのご法要では、親鸞聖人のお徳をたたえ、真宗のみ教えが正しく深く広く大きく伝わり、混迷の無明長夜の灯炬となるべく、高く掲げてまいりたいものであります。

 親鸞聖人は比叡山で、永年ご勉学とご修業に勤められましたが、出離の思いは満たされず、苦しまれて諸方の霊窟に詣でられました。
その中で、聖徳太子のお告げによって、源空聖人にお会いになり、阿弥陀如来の本願に抱かれていることを喜ぶお念仏をする身となられました。
それ以来、法難によって流罪になった越後に、放免の後には関東にあって、おみのりの伝道にご尽力なさいました。
晩年に京洛の地に戻られる途次、政情不安な都を前にして、木部の地にて『教行信証』のご淨書をなさりながら、しばらくご法義の広宣にお努めになりました。
そのご縁が錦織寺となって、親鸞聖人を御開山として尊敬して参りました。
親鸞聖人はその後九十歳にてこの世の縁の尽きるまで、著述を重ねられ、そのみ教えは今日まで多くの方々に、仏縁を結ぶ働きとなり、喜ばれてまいりました。

 仏教は、四諦八正道にまとめられるように、人間の迷いからの目覚めを促すものであります。
それは今日においても人間の個々のあり方として、その輝きを失わない優れた教えであります。
そしてさらに個々の人間の自覚は、他者に慈しみの目を向けるべきことに気づいていき、大乗仏教として今日まで広まってきております。

 人の貪欲、瞋恚、愚痴に取り巻かれ執着している状態は、止まるところをしらず、今日では人間中心の思考がいっそう強まり、あらゆる方面において過剰な利潤と利権の追求がなされ、そこでは様々な生き物の命のつながりが絶たれ、地球の存続さえ危ぶまれる時代となりました。
また科学技術の進歩は高度情報通信社会を生み出し、人々の結びつきをばらばらにして、孤独化を進行させています。
それらは経典が五濁悪世と述べている姿でありましょう。

 親鸞聖人によって開顕された浄土の真実のみ教えは、あらゆる人びとが阿弥陀如来の本願のお力でお浄土に生まれて、人の持つ迷いを離れて仏となり、この世に還っては迷える衆生をお浄土に導くために働くということであります。
そして南無阿弥陀仏のお名号にこめられた、あらゆるものを救っていきたいという、阿弥陀如来の悲願を聞き尋ねていくことは、そのような願いを持った阿弥陀如来のお徳をたたえ、感謝と報恩の思いをもってお念仏することであります。
それは同時に多くの命の中で存在する自らの生き方への目覚めであり、阿弥陀如来の智慧と慈悲に照らされて生きていくあり方であります。

 七百五十回忌を迎えるに当たり、このお念仏の道を多くの方々と共に、静かに、心豊に歩みたいものであります。

 宗門においては、親鸞聖人をお慕いして聴聞に努められ、愛山護法の思いを綴ってきた伝統を、未来へ伝えていく手立てを共に考えつつ、お念仏の相続に励んでいただきたいと念願いたします。

平成十七年十一月二十一日    錦織寺 門主 釈 円慈